Comment

真新しいものがなくなり、
ようやく、静けさのなかページが開く。
髙城晶平

これまでのceroのアルバム制作といえば、常にコンセプトや指標のようなものが付きものだった。それが自分たちのスタイルでもあったし、バラバラな個性を持った三人の音楽家が一つにまとまるには、その方法が最も適していたのだと思う。

ところが、今回に関しては、そういうものが一切持ち込まれぬまま制作がスタートした。コロナ禍によって世の中の見通しが立たなかったこととも関係があるだろうし、年齢的なことにもきっと原因はあるのだろう。一番は、三人それぞれが自分のソロ作品に向き合ったことで、そういった制作スタイルに区切りがついてしまった、ということなのかもしれない。

なにはともあれ、唯一の決め事らしきものとして「とにかく一から三人で集まって作る」という方法だけがかろうじて定められた。そのため、まず環境が整備された。はじめは吉祥寺のアパートで。後半はカクバリズムの事務所の一室で。

このやり方は、とにかく時間がかかった(五年…)。「三人で作る」とはいえ、常に全員が忙しく手を動かすわけではないので、誰かしらはヒマしていたりして、効率は悪かった。でも、その客観的な一人が与えるインスピレーションに助けられることも、やはり多かった。また、この制作はこれまででダントツに議論が多かった。シングルのヴィジュアルから楽曲のパーツ一つ一つにいたるまで、一体いくつメールのスレッドを費やしたかわからない。でも、そうやって改めてメンバー+スタッフで議論しながらものづくりができたことは、かけがえのない財産になった。楽曲を成り立たせているパーツの一つ一つが、セオリーを超えた使用方法を持っており、当たり前ながら、それら全てに吟味する余地が残されている。そんな音、言葉一つ一つに対する懐疑と諧謔のバランスこそがceroらしさなのだと、しみじみ気付かされる日々だった。

こうして今、何かが完成しつつあるのだが、これが何なのか、正直なところ、自分でも未だによくわかっていない。とりあえず、聴く度に発見があり、毎回違った種類の感動が残る。この感覚がいつまで残り続けるのかもわからないが、ひとつだけ確信を持って言えるのは、僕はこのアルバムが大好きだということだ。『e o』について語るべきことは他にもいくらでもあると思うけど、とりあえずこのへんにしときます。きっと一人で語り尽くすよりも、複数で語り合ったほうがより発見も多いだろう。制作がまさにそうだったので。

激しく儚く移ろいゆく世の中をみるにつけ、誰一人欠けることなくここまでこぎつけられたことの幸福を思わないわけにはいかないし、そのために尽力してくれた全員に、いつもながら感謝しかない。

Release Info

e o
e o
e o
e o
e o
e o
e o
e o
e o
e o
e o

cero / e o
2023.5.24 Release

Catalog No. : DDCK-1077 / KAKU-172
Label: KAKUBARHYTHM
Format: 生産限定CD + Blu-ray / Digital
Price: ¥4,950(税抜価格: ¥4,500)

CD全11曲収録, Blu-ray全19曲収録

01. Epigraph エピグラフ
02. Nemesis ネメシス
03. Tableaux タブローズ
04. Hitode no umi 海星の海
05. Fuha フハ
06. Cupola(e o) キューポラ (イーオー)
07. Evening news イブニング・ニュース
08. Fdf (e o) エフ・ディー・エフ (イーオー)
09. Sleepra スリプラ
10. Solon ソロン
11. Angelus Novus アンゲルス・ノーヴス

- 生産限定CD付属Blu-ray Disc
Outdoors 2022
Live at 日比谷野外大音楽堂 2022.7.16

1. 溯行
2. Yellow Magus(obscure)
3. Summer Soul
4. よきせぬ
5. Orphans
6. FALLIN’
7. 夜去
8. Elephant Ghost
9. 魚の骨 鳥の羽根
10. WATERS
11. Double Exposure
12. Fuha
13. Cupola
14. Nemesis
15. outdoors
16. Poly Life Multi Soul
17. Fdf

Encore
18. 街の報せ
19. さん!

CD早期予約購入者特典 : 未発表音源CD(1曲収録)
タイトル :「Are We On The Same Page? アー・ウィー・オン・ザ・セイム・ページ?」
対象期間 :2023年4月10日(月)各店舗閉店時まで
対象店舗 :TOWER RECORDS/HMV/diskunion/楽天BOOKS/FLAKE RECORDS/カクバリズムデリヴァリー

配信・オンラインストアでの購入はこちらから

Release Tour

e o Release Tour 2023

2023.06.02(金)
仙台 Rensa
2023.06.16(金)
広島 CLUB QUATTRO
2023.06.18(日)
福岡 DRUM LOGOS
2023.06.30(金)
札幌 PENNY LANE24
2023.07.08(土)
名古屋 DIAMOND HALL
2023.07.09(日)
大阪 GORILLA HALL OSAKA
2023.07.12(水)
東京 Zepp ShinjukuSOLD OUT

チケット詳細は、カクバリズムサイトをご確認ください。

Review

*例えば、DJがかける曲に合わせて踊る場合など、身体的な感応が先行するパターンがこの例外として考えられるし、(私達がそういう体験として感知するかどうかは別として)実のところ似たような例外はありふれていもいる。そもそも、DJ的実践は、その成り立ちからして「完成」という概念を撹乱するものでもあったわけだ。本論では主に固定的なポップス「作品」概念を前提とする能動的聴取のあり方に絞って考察しているが、ceroの音楽は、(彼らのファンならよくご存知の通り)このダンスミュージック式の受容の場合においても、是非評価すべき存在であることは当然である。

**狭義の「ポップミュージック」といっていいかは別として、アンビエントミュージックもまた、それが再生される環境との相互的な関係性の中に存在するという意味で、「完成」という概念に閉じられる音楽ではない。

「非完成」の音楽とは何か ―生まれ、変化する『e o』

text: 柴崎祐二

 ポップミュージック、特にポップスと言われる領域の創造過程においては、何をもって、どんな段階でそれが「完成」したと判断されるのだろうか。各楽器の音をハードディスクに記録し、混ぜ合わせ、整え、固定した時?確かにそれがもっと有力な「完成」の定義だろう。
 音楽はある時点である形状に固定され、「作品」としての外殻を得る。そして私達は、その外殻に固定された「作品」を一つの成果物として受け取り、しばしば、それが元から現在の形を企図して作られたものだという物語を遡及的に組み立てていく。ときに、ポップスを作る者もまた、その物語へと与し、どういう意図でそれを作り、どのように「完成」させたのかという語りを提供していく。いつの間にか、音楽は必ずや「完成」をみるべきものとして、あるいは初めからなにがしかの鋳型が存在していて、それに沿って「完成」されたものと見做されていく。なにがしかのジャンルの、なにがしかの手法を援用した、なにがしかのマーケットへ投げ入れられる想像可能な「完成物」として。

 私達は、すぐれたポップス「作品」に接した時、そこにやたらと「テーマ」を求めようとする(しばしば批評家がするような仕草に限って言っているのではなくて、広い意味の「私達」のことを言っている)。私達は、ある音楽「作品」を、それが上述したような意味において「完成」した存在であると考え(させられてい)る限りにおいて、いつでも不可避的に「テーマ」を求めてしまう()。逆側からいえば、私達は往々にして、「完成」とは、任意に設定されたある「テーマ」に沿って遂行された主体的行為の結果であると思い込まされている。「テーマ」がなければ、「完成」という達成点や、そこに敷かれた過程すらがバラバラに飛び散ってしまうと、それを聴くものも、あるいはときに作るものでさえ、強く思い込まされているのではないか。
 しかし歴史的にみれば、「完成」とか、「テーマ」という概念が、ある種の理念を前提にしているのはすぐに知れる。あまり深入りする紙幅はないが、それらの概念は、特定の時代に共有された存在論によって強く規定されている。つまり、創造的な主体(≒作家)がある物語を語りそれが物象化したものが「芸術」とか「作品」と理解されたことによって、「完成」、およびそのためのありうべき設計図としての「テーマ」=主題という概念が導かれてきたのだった。こうした見取り図は、例えば「作者の死」やポスト構造主義の様々なアイデアによって既に無効である旨を宣言されつづけてきたはずのものだ。しかし、そういう宣言が論理として説得性を帯びていたとしても、私達は、思いの外としかいいようのないレベルで、常に「完成」とか「テーマ」といった概念から自由になるのを進んで拒絶してきたのだともいえる。特に、1960年代末以降のポップミュージック、中でもロックに発したポップスの大勢においては常に、だ。
 おかしいではないか。ポップミュージックは、かつて識者が述べたように、ポストモダンを先取り、予告し、それを敷衍する性質をもっていたはずだったのに。しかし、その同じポストモダンが要請する逆説によって、「完成」や「テーマ」という近代的な概念がある種の嗜癖として復権してしまったというのもまた、この間の趨勢だったのではないだろうか。私達ポップスファンは結局、「作家の死」や記号の繚乱という事態を分析的に記述できたからといって、すぐさまそれ以前の論理を捨て去るという心性を有していなかったようだ。「カリスマ」や「ロマン」という概念を培養基としてきたポップス文化圏においてはむしろ、その反転的なエネルギーが常に私達を突き動かしてきたともいえる。あるカリスマ的な音楽家が、こういうロマンチックな考えのもとに、こういう「作品」を「完成」させた……なんて素晴らしいのだろうか、と。
 ここまで述べてきた内容をちゃぶ台がえしするようなことをいうと、私自身は、「完成」とか「テーマ」という概念に規定されたポップス「作品」も大の好物なのだ。けれど、である。時として「完成」とか「テーマ」を前提としたポップスの濁流に膨満感を覚えるのも正直なところなのだった。やっぱりつまらないではないか。(形容矛盾かもしれないが)「完成」から逃げおおせるラジカルなポップスの可能性はありうるのか、これが目下の私の関心であったりする。もっと根源的な、もっと有機的な意味で、「完成」という概念に規定される息苦しさから離れた、それでいて、フリーインプロヴィゼーションや実験的な音楽の論理にも(さほど)頼らない、軽やかで心躍る、繰り返し鑑賞したくなるような親しみに満ちたポップスはありえないのだろうか……?

 前置きが長くなった。ceroの新しいアルバム『e o』は、一見すると、おそろしいほどの「完成度」でビカビカに光り輝いている。あいかわらず各楽器の配置は綿密で、演奏も巧みだし、電子音のデザインも卓越している。髙城晶平のヴォーカルも一瞬たじろぐほどに艶めかしさを増している。複雑なハーモニーを駆使するソングライティングもかつてなく高度で、叙情性豊かな歌詞も素晴らしい。その上、録音、ミックス、マスタリングのエンジニアリング精度もおどろくほど高い。こういう風に逐次内容を分析していけば、その「完成度」がいかに高いのかを説得的に伝えるのは容易いことだろう。実際、そうしたい欲求に従いそうになるが、だからといってこのアルバムが、なにがしかの「テーマ」に沿って作られた、「完成」されたものだと言い切ってしまうのも到底できそうにない。アルバムを更にじっくりと聴いていくうちにせり上がってくるのは、むしろ「完成」とは距離のある、だからといって単に「未完成」というのともちがう(なぜなら「未完成」とはあくまで「完成」を前提とした未完了状態を指すからだ)、いってみれば、「非完成」なありようだ。

 アルバムのオープナー「Epigraph」は、ハッとするようなヴォーカルハーモニーから出発し、麗美なストリングスがそこに加わっていくが、中途から非常にスポンテニアスなドラムの演奏にまみれたかと思うと、モノローグとラップの中間のような声とともに唐突に終わる。
 続く「Nemesis」も、基軸となるリズムこそピアノの4部音符が安定的な印象を与えるが、それすらも徐々に多層化し、拡散していってしまう。加えて、「多方向的」としかいいようのない奔放なメロディーの展開にも耳を奪われる。様々な音の乱舞は空間がどんどん拡張されていくような感覚を味わわせてくれるが、その混じり合いは、クライマックスで意外な終結を迎えてしまう。
 何かが次々と流れ込み、生まれ、変化していく。そういう感覚は他の曲全てに通底している。例えば「Hitode no umi」では、生ドラムの細密なリズムパターンの傍ら、ピアノが可憐な長音符を添え、途中からは管楽器がまたしても(心臓の鼓動に似た)4部音符を刻む。その下面では電子音が空気をなめすように湿り気を加えていく。楽器の抜き差しもある意味(誤解を恐れずにいえば)場当たり的で、高い即妙性を感じさせるものだ。リズムが消え、終盤に至って静謐へと移行する瞬間も、それとは意識させない不思議な自然さがある。このアルバムでは、何よりも「完成」へ至るための工程と考えられがちな編集という操作もまた、生まれ、変化するものとして大胆に捉え返されているようだ。
 各楽器やヴォーカルが織りなす多層的なリズムとそれが織りなすモアレは、比較的穏やかな曲において余計にその鮮やかさを増して響く。「Solon」は、アンビエント的(**)といってもいいであろう曲で、闊達でいて沈着なドラムとベースの傍ら、空間を淡く彩っていく電子音が実にセンシュアルだ。
 アンビエント的な質感ということで言えば、リズム楽器を排したシンプルな曲「Evening news」も素晴らしい。骨格のあらわになったメロディーは、彼らが常にブラジル等南米の音楽へ強い興味を注いできたことを思い出させる。
南米的なメロディー/ハーモニーは、本作を形作る要素の中でも最も重要なものの一つだろう。特に「Tableaux」では、彼の地のポップミュージックに聴かれる(使い古された用法を超えた)「浮遊感」を、彼らが見事に捉えているのがわかる。
 パウル・クレーの名画と同じタイトルを付けられた「Angelus Novus」も、アルゼンチン音響派〜ネオフォルクローレ的な美しさを味わえる名品だ。コール・アンド・レスポンスを交えたその構造には、かねてよりceroが探求してきた「現代都市生活者の賛美歌」ともいうべきエモーションが宿っていると感じる。
 「Sleepra」は、かつてceroが参照の対象としたネオソウル的なメロウネスを湛えた曲だが、ここで聴ける斬新なアレンジは、まず先になにがしかの参照先を設定してそれへと接近するような手法から彼らがすっかり脱していることを告げている。あらかじめ「〇〇風」を企図するのではなく、あくまで生成の過程においてそのようなアレンジを導き出し、しかもそれを内側に閉じてしまうような力学からは遊離し続ける。
 既発曲のアルバムバージョンとなる「Cupola (e o)」は、各曲中でも目立ってポップなメロディーを伴った曲だが、そのサウンドはやはり相当に「生き物」めいている。あらゆるテクスチャーを湛えた音が、過度のトリートメントを避けるようにそれぞれの音として林立し、消えていく。電子音とSE(サウンドスケープ)はその境目を曖昧にしながら互いに流れ込み、合一していく。
 「Fdf(e o)」もシングルバージョンとは異なるアレンジが施されており、ダンスミュージックとしての躍動感を余計に焚き付けられたように、快活さを増して私の体を刺激する。
そのように、(先に触れた「Nemesis」含め)先行シングル各曲がアルバムの中に収められることによって今一度命を与えられているというのも、興味を惹かれる点だ。まさしく、環境に応じて変化し、生き続ける存在としての楽曲の姿がここにある。実際、私にとって初出時はかなりアブストラクトに感じられた「Fuha」が、『e o』の中に置かれると、とたんにその生命力を賦活されたように耳に響いてくるのだから不思議だ。

 こうして書き進めてくると、本作『e o』は、2018年の前作『POLY LIFE MULTI SOUL』で取り組まれていたポリリズミック/ポリフォニックなcero流ポップソングの「完成形」である、と表現してみたくなる。その見取り図もある程度は正しいのかも知れない。けれども、繰り返しになるが、このアルバムには「完成」という表現を拒むなにか強い力が脈打っているということも、ますますはっきりと浮かび上がっくる。
 前もって公開されている髙城自身の言葉によれば、このアルバムの制作は、約5年間をかけて、髙城晶平、橋本翼、荒内佑のメンバー3人で同じ空間に集まりじっくりと進められたという(あくまで各曲に都度取り組んでいったというのが実態で、あらかじめアルバムのための「青写真」が設定されることはなかったという)。コミュニケーションを重ね、様々なトライ&エラーを重ねながら、長い時間を経て音の潜在性と対峙し、その生成の様を記録してく。この『e o』のサウンドに、そのようなプロセスそれ自体=音楽が生まれ変化していく様がはっきりと映し出されていると理解してみれば、なぜこのアルバムが旧来的な意味における「完成」という概念からすり抜けてしまうように感じられるのかも理解できるはずだ。
 メンバー(ときに参加ミュージシャンやスタッフ、家族や友人たち、もしかしたらファンも)の間で繰り返される音楽をめぐる膨大なコミュニケーションやそこにかけられた時間が、そのコミュニケーションが行われた(オンライン含む)空間に漂う匂いや光とともに楽曲という器の中に注ぎ込まれ、それらの痕跡どころか、それらのありようそのものが映し出される。生まれては消え、消えは生まれていった音が、その顕在と不在を反転させるように互いを照らし出し、生成のダイナミズムそのものを表象する……。『e o』には、そのような潜在的かつ偶有的なプロセスを経た音が、背後に存在する膨大な「ありえた音」の残像ととともに鳴り響いている。

 『e o』で歌われる詞もまた、なにがしかの「テーマ」へとその身を捧げることをすり抜けるような、ある種断片的な印象を抱かせる。デビュー以来ceroのアルバムを聴いてきた者からすると、この言葉のあり方は実に興味深い変化に感じられる。
かつてceroの音楽には、あくまで物語る主体が中央に存在し、しばしばそれはバンド自身の視点/身体性が託されたものでもあったはずだ。それが架空の、ときにマジックリアリズム的な想像力とともに現実世界から飛翔する奔放な言葉であったとしても、だ。しかし本作における言葉は、印象的な光景や記憶の描写が現れてくるにせよ、あくまでそれは、特定の人称には属さないなにがしかの感情や感覚の隠喩や換喩として曲空間を漂っているふうなのだ。言い換えるなら、人称を離れて間欠的に表面化する現象や風景をメタ的に歌い連ねることで、その深層に存在する(通常は不可視の領域に置かれている)感情の海原と、その海原のうごめきを幻視させるような、そういう構造になっているように思うのである。
 つまりは、ここに綴られている数々の言葉は、なにがしかの主体によってあらかじめ物語のために方向づけられ配置された目的論的な言葉ではなく、都度楽曲のダイナミズムとともに海原から現れ、その海が立てる波先の姿を(おそらく、ときにそれを書き歌う髙城自身にも不可知の仕方で)描写していくような存在としてあるようなのだ。ここでは、言葉(の現れ方)もまた、その言葉以前の次元との往還的な関係を保ちながら、生まれ、変化させられている。まるで、私達が各々の生の只中で、言葉を用いてコミュニケーションを行っているときのありようと同じように。

 『e o』は、様々なレベルにおける生成変化のありようを音楽という「動態」によって体現する。これは、ceroという「主体」が、なにがしかの普遍的な世界像を目指して作り上げた「完成物」なのではない。「cero」という所与的アイデンティティを与えられた不動の存在ではなく、その一部をときによって切り離してみたり、あるいはまた受肉してみたりする流動的な集合/離散体=「(c) e(r) o」として、創作のプロセス、コミュニケーション、言語運用のあり方自体をオートポイエーシス的に音楽化していく。
 そしてまた、私達が『e o』を聴くという行為も、すぐれてオートポイエーシス的で再帰的なコミュニケーションとしての音楽創作を体感する行為となりえるだろう。それだけに限らず、うまくすれば、聴くものそれぞれが、そうしたコミュニケーションの場へ「聴く」行為をもって参加することすら可能だろう。コミュニケーションが刻まれた音楽は、コミュニケーションを拒絶するどころか、私達をそこに招き入れ、再文脈化を促し、双方向的な語りを惹起し、それぞれの『e o』を生起させる(当然、ライブ演奏によっても新たな『e o』が生まれ続けていくだろう)。現に、私がこの小論を進めながら抱いていたのは、『e o』のオートポイエーシス的な構造へと身を委ね、その円環に加わっているという感覚なのだった。そういった感覚に身をひたしている私は、『e o』を、なおさら「完成」という概念に閉じてしまいたくはないし、おそらく私が気を揉まなくとも、『e o』は多くの人々にとって「非完成」の存在であり続けるはずだ。『e o』の世界は、私達に向かって大きく開け放たれている。

*例えば、DJがかける曲に合わせて踊る場合など、身体的な感応が先行するパターンがこの例外として考えられるし、(私達がそういう体験として感知するかどうかは別として)実のところ似たような例外はありふれていもいる。そもそも、DJ的実践は、その成り立ちからして「完成」という概念を撹乱するものでもあったわけだ。本論では主に固定的なポップス「作品」概念を前提とする能動的聴取のあり方に絞って考察しているが、ceroの音楽は、(彼らのファンならよくご存知の通り)このダンスミュージック式の受容の場合においても、是非評価すべき存在であることは当然である。

**狭義の「ポップミュージック」といっていいかは別として、アンビエントミュージックもまた、それが再生される環境との相互的な関係性の中に存在するという意味で、「完成」という概念に閉じられる音楽ではない。

Credit

1. Epigraph エピグラフ

Music: Shohei Takagi|髙城晶平
Lyric: Shohei Takagi|髙城晶平
Produce: Shohei Takagi|髙城晶平
Arrangement: Shohei Takagi|髙城晶平
Strings Arrangement: Hiroki Chiba|千葉広樹, Shohei Takagi|髙城晶平

Vocal, Chorus, Electric Guitar, Programming: Shohei Takagi|髙城晶平
Drums: Wataru Mitsunaga|光永渉
Violin: Anzu Suhara|須原杏
Violin: Kano Tajima|田島華乃
Viola: Yuri Matsumoto|松本有理
Cello: Masabumi Sekiguchi|関口将史

Recording: Masahito Komori|小森雅仁, Shohei Takagi|髙城晶平
Mixing: Masahito Komori|小森雅仁

2. Nemesis ネメシス

Music: Shohei Takagi|髙城晶平, Yu Arauchi|荒内佑
Lyric: Shohei Takagi|髙城晶平
Produce: Shohei Takagi|髙城晶平, Yu Arauchi|荒内佑
Arrangement: cero

Vocal, Chorus: Shohei Takagi|髙城晶平
Programming: Yu Arauchi|荒内佑
Guitar: Tsubasa Hashimoto|橋本翼
Chorus: Tomomi Oda|小田朋美
Chorus: Manami Kakudo|角銅真実

Recording: Masahito Komori|小森雅仁, Yu Arauchi|荒内佑
Mixing: Masahito Komori|小森雅仁

3. Tableaux タブローズ

Music: Shohei Takagi|髙城晶平, Tsubasa Hashimoto|橋本翼, Yu Arauchi|荒内佑
Lyric: Shohei Takagi|髙城晶平
Produce: Yu Arauchi|荒内佑
Arrangement: Yu Arauchi|荒内佑

Vocal, Chorus: Shohei Takagi|髙城晶平
Programming: Yu Arauchi|荒内佑, Tsubasa Hashimoto|橋本翼
Drums: Wataru Mitsunaga|光永渉
Contrabass: Hiroki Chiba|千葉広樹
Piano: Ryo Sugimoto|杉本亮

Recording: Masahito Komori|小森雅仁, cero
Mixing: Masahito Komori|小森雅仁

4. Hitode no umi 海星の海

Music: Shohei Takagi|髙城晶平, Yu Arauchi|荒内佑
Lyric: Shohei Takagi|髙城晶平
Produce: cero
Arrangement: cero

Vocal, Chorus, Acoustic Guitar: Shohei Takagi|髙城晶平,
Programming: Shohei Takagi|髙城晶平, Yu Arauchi|荒内佑, Tsubasa Hashimoto|橋本翼
Drums: Wataru Mitsunaga|光永渉
Electric Bass: Yoshiro Atsumi|厚海義朗
Piano: Yu Arauchi|荒内佑
Flute, Clarinet: Shuntaro Oishi|大石俊太郎

Recording: Masahito Komori|小森雅仁, cero
Mixing: Masahito Komori|小森雅仁

5. Fuha フハ

Music: Shohei Takagi|髙城晶平, Yu Arauchi|荒内佑
Lyric: Shohei Takagi|髙城晶平
Produce: Yu Arauchi|荒内佑
Arrangement: Yu Arauchi|荒内佑

Vocal, Chorus, Acoustic Guitar, Electric Guitar, Percussion: Shohei Takagi|髙城晶平
Programming, Keyboards: Yu Arauchi|荒内佑
Chorus: Tsubasa Hashimoto|橋本翼
Trombone: Kayoko Yuasa|湯浅佳代子
Chorus: Manami Kakudo|角銅真実

Recording: Masahito Komori|小森雅仁, Yu Arauchi|荒内佑, Shohei Takagi|髙城晶平
Mixing: Masahito Komori|小森雅仁

6. Cupola (e o) キューポラ (イーオー)

Music: Shohei Takagi|髙城晶平, Yu Arauchi|荒内佑
Lyric: Shohei Takagi|髙城晶平
Produce: cero
Arrangement: Shohei Takagi|髙城晶平, Yu Arauchi|荒内佑

Vocal, Chorus, Acoustic Guitar, Keyboards: Shohei Takagi|髙城晶平
Programming, Keyboards: Yu Arauchi|荒内佑
Electric Guitar: Tsubasa Hashimoto|橋本翼
Chorus: Tomomi Oda|小田朋美
Chorus: Baku Furukawa|古川麦

Recording: Masahito Komori|小森雅仁, Yu Arauchi|荒内佑, Shohei Takagi|髙城晶平
Mixing: Masahito Komori|小森雅仁

7. Evening news イブニング・ニュース

Music: Yu Arauchi|荒内佑
Lyric: Shohei Takagi|髙城晶平
Produce: Yu Arauchi|荒内佑
Arrangement: Yu Arauchi|荒内佑, Shohei Takagi|髙城晶平

Vocal, Chorus: Shohei Takagi|髙城晶平
Programming: Yu Arauchi|荒内佑
Piano, Keyboards: Yu Arauchi|荒内佑

Recording: Masahito Komori|小森雅仁, Yu Arauchi|荒内佑
Mixing: Masahito Komori|小森雅仁

8. Fdf (e o) エフ・ディー・エフ (イーオー)

Music: Yu Arauchi|荒内佑, Shohei Takagi|髙城晶平
Lyric : Shohei Takagi|髙城晶平
Produce: cero
Arrangement: Yu Arauchi|荒内佑
Horn Arrangement: Yu Arauchi|荒内佑, Ryo Konishi|小西遼

Vocal, Chorus: Shohei Takagi|髙城晶平
Programming, Synth Bass, Electric Piano, Electric Guitar: Yu Arauchi|荒内佑
Electric Guitar: Tsubasa Hashimoto|橋本翼
Drums, Percussion: Wataru Mitsunaga|光永渉
Chorus: Manami Kakudo|角銅真実
Chorus: Tomomi Oda|小田朋美
Flute: Ryo Konishi|小西遼
Clarinet: Tokuhiro Doi|土井徳裕
Tenor Sax: Shuntaro Oishi|大石俊太郎
Baritone Sax: Haruka Sasaki|佐々木はるか
Trombone: Shigetaka Ikemoto|池本茂貴

Recording: Taiji Okuda|奥田泰次, Masahito Komori|小森雅仁, Yu Arauchi|荒内佑
Mixing: Masahito Komori|小森雅仁

9. Sleepra スリプラ

Music: Shohei Takagi|髙城晶平
Lyric: Shohei Takagi|髙城晶平
Produce: cero
Arrangement: cero

Vocal, Chorus, Acoustic Guitar, Electric Guitar: Shohei Takagi|髙城晶平
Programming: Shohei Takagi|髙城晶平, Yu Arauchi|荒内佑, Tsubasa Hashimoto|橋本翼
Drums: Wataru Mitsunaga|光永渉
Electric Piano: Yu Arauchi|荒内佑

Recording: Masahito Komori|小森雅仁, cero
Mixing: Masahito Komori|小森雅仁

10. Solon ソロン

Music: Tsubasa Hashimoto|橋本翼
Lyric: Shohei Takagi|髙城晶平
Produce: Tsubasa Hashimoto|橋本翼
Arrangement: Tsubasa Hashimoto|橋本翼, Shohei Takagi|髙城晶平

Vocal, Chorus: Shohei Takagi|髙城晶平
Programming: Tsubasa Hashimoto|橋本翼
Violin: Yu Arauchi|荒内佑
Drums: Wataru Mitsunaga|光永渉
Electric Bass: Yoshiro Atsumi|厚海義朗

Recording: Masahito Komori|小森雅仁, Tsubasa Hashimoto|橋本翼, Yu Arauchi|荒内佑
Mixing: Masahito Komori|小森雅仁

11. Angelus Novus アンゲルス・ノーヴス

Music: Yu Arauchi|荒内佑
Lyric: Shohei Takagi|髙城晶平
Produce: Yu Arauchi|荒内佑
Arrangement: Yu Arauchi|荒内佑, Shohei Takagi|髙城晶平

Vocal, Chorus, Electric Guitar: Shohei Takagi|髙城晶平
Piano, Programming: Yu Arauchi|荒内佑
Drums: Wataru Mitsunaga|光永渉
Electronics: Hiroki Chiba|千葉広樹 

Recording: Masahito Komori|小森雅仁
Mixing: Masahito Komori|小森雅仁, Yu Arauchi|荒内佑

Recorded by Masahito Komori, Shohei Takagi, Yu Arauchi, Tsubasa Hashimoto
小森雅仁, 髙城 晶平, 荒内 佑, 橋本 翼

At ABS Recordings, STUDIO VOLTA, Higashi Azabu Studio, STUDIO FREEDOM INFINITY, KAKUBARHYTHM OFFICE, STUDIO 902, 各自宅

Mixed by Masahito Komori|小森雅仁
Mastered by Tsubasa Yamazaki|山崎翼 at Flugel Mastering, 2023

Art Direction, Design: Kei Sakawaki|坂脇 慶
Design: Mio Asai|浅井美緒

A&R, Director: Rui Fujita|藤田 塁(KAKUBARHYTHM)
Executive Producer: Wataru Kakubari|角張 渉(KAKUBARHYTHM)

Message

2023.08.02 update

真夜中の小鳥の囀りのような、
眠りに落ちる寸前に気づく雨音のような、
明け方の虹に染まる幽体のような、音と言葉の連なり。
心を震わせる作品たちに目を瞠った。
彼らがどうやってここに辿り着いたのかはわからない。
あの長いコロナの時を経て、
音と言葉をひとつずつ見つけていった足跡すら、
綺麗に抹消されているから。
それでも、そんなことを知らなくたって、
彼らの音楽は私たちの鼓膜を震わせる。
コロナを経て、私たちの耳もまた変わったはずだ。
今まで聞こえなかった音と言葉のエコー。
味わったことのない感情が空中にたゆたう。
Ceroという音楽を発明してしまった彼らを讃えながら、
いつまでもこの音と言葉のなかにくるまれていたい。

窪美澄(小説家)

丘に立ち上がろうとしたところ
彗星に誘拐され、恍惚トルネード。
そこでむんずと思い出した。
そうだceroだ。cero軸だ。

UA

Media

2023.06.14 update

WEB

〈INTERVIEW〉

〈REVIEW〉

MAGAZINE

  • ・Meets Regional(REVIEW)5/1発売号
  • ・MUSIC MAGAZINE(INTERVIEW & DISC REVIEW)5/20発売号
  • ・bounce(INTERVIEW)5/25発行号
  • ・日経新聞(INTERVIEW)5/26夕刊
  • ・GLOW(REVIEW)5/28発売号
  • ・装苑(INTERVIEW)5/28発売号
  • ・BRUTUS(INTERVIEW)6/15発売号
  • ・SAVVY(REVIEW)6/23発売号

more info coming soon

Profile

cero

cero

2004年結成。メンバーは髙城晶平、荒内佑、橋本翼の3人。これまで4作のアルバムと6作のシングル、DVD/Blu-ray作品を3作リリース。3人それぞれが作曲、アレンジ、プロデュースを手がけ、サポートメンバーを加えた編成でのライブ、楽曲制作においてコンダクトを執っている。今後のリリース、ライブが常に注目される音楽的快楽とストーリーテリングの巧みさを併せ持った、東京のバンドである。

ceroオフィシャルサイト

カクバリズム